>Requiem

その8・・・・震災の時・・・

今では隣町で3人のお母さんとして頑張っている主人の妹家族。
私には義妹にあたるわけですが、彼女たち家族もまた被災者でした。
それも芦屋の高層マンションの18階!に住んでいたので
それはそれはすさまじかったそうです。
震災後の部屋の様子を写真に撮ってありましたが
天地も左右もわからないような有様。
想像つきますか?(^^;見慣れた部屋の中を撮ったはずなのに
いったいどっちがどっちなのか説明されないとわからないんです。
そんなひどい揺れの中、義妹夫婦は2歳の子供と一緒に
嫁入りダンスがおいてある和室に寝ていました。
揺れがおさまったとき、重ねてあったタンスはふっとび壁に穴をあけ
テレビや鏡台の小物が散乱する真っ暗な中・・・・・。
真っ暗な中で子供の名前を呼んでいました。
ダメかもしれないと思いながら泣きながら。
でも、子供は無事だったんです。なんと寝ていたんですね(^^;
我が家のましんも同じ年ですが、寝てましたから(^^;
でも、あの惨状の中、無事だったのが不思議なくらいでした。
それから、義妹達は家の中も大変だったけども、あの余震のなか
18階で暮らせるハズもなく(建物事態ヤバかったんで)近くの
小学校の体育館に避難したそうです。
でも寒くて風邪をひいてしまった義妹と娘は高熱を出してしまって
数日後には私の主人が山陰の実家に送りとどけました。
義妹のご主人は実家が神戸にあったんで、スクーターで
芦屋から神戸までよく往復していました。
私は、小学校等の避難所にいた体験はありませんが
小さい子供を抱えていてはとても大変だったようです。
想像に難くないですよね。
すぐ頼れる実家や親戚があればいいんですが
そうでない人も沢山いたことでしょう。
そんな体験をした人に話を聞いたことはありませんが
避難=小学校の体育館。そろそろそんな図式を変えていく時期なのでは
ないのかと思います。
ちょっと今回は話がそれてしまいましたね(^^;


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