剛「ほんまにUFOかわかんないですよ?それはでも。実際見るとまあ・・UFOかもね。だって台風、ああやこうや言うてた日ですから、そんな日に、ここに飛行物体飛んでてもなっていうところに、飛んでたりはしましたよね。アレがもしUFOだったら、なんか・・やったなって気分ですよね。UFOも気になってたイベントなわけですから、ライブ無事に出来てんのかな、っていう感じで来てね、あ、やっぱり中止かみたいなのもあったんでしょうから。もしかしたら。。あったかもしれないですよね、ライブちょっと行こうぜみたいな感じで来たら、上から見ようぜと思ってたら、まあ、ちょっと中止か、みたいな。ないわって、ほいで帰ったんちゃうかなと」

>聞いてらっしゃる方で平安神宮の周辺で見られた方も・・

剛「いるかもしれないですよ?これは、ある話ですよ。あったらね、いい話ですよ」

>それでは、まず1曲お届けしたいと思います。では、曲紹介を

剛「はい、それではですね、日本人の心が何か過去に遡ることによって学ぶことも多いだろうなあとか、そういうような思いを綴った『縁を結いて』という曲があるんです。この曲は自分のふるさと奈良で、書きまして、そして歌も奈良で、いわゆる神社なんですが、神社さんで作って、神社さんでレコーディング歌だけはさせていただいてという、不思議な時間軸の中で出来た曲です。みなさんにも、現代を生きるみなさんにとっても、これからの日本にとって重要なことであったり、答えであったりというものをこの曲の中に、込めれたんじゃないかなと僕は自信を持っていますので、理屈抜きで受け止めてもらうような感覚で聞いて頂ければ嬉しいなというふうにと思います。それでは聞いてください、堂本剛で「縁を結いて」どうぞ」


『縁を結いて』


>改めまして、小島麻子です。そして

剛「堂本剛です」

>この曲ですけども、できたのは?

剛「この曲はほんと、えーっと3年とか、2年ちょっと前とかかな。ほんとに自分もなにげなく家族で奈良の南部の方にある天川というところを訪れまして、水の神さんがいはるとこなんですけど。音の神さんでもあり水の神さんでもある、まあ、水の神さんやから龍神さんもいはるんですけど、その水の神様のところに家族で行って、そしたら宮司さんが近くで神さんのお顔みはりますかって言って、弁財天さんがお祀りされてるんですけどね、それを家族で見させていただいて、そしたら母がずっと静かにしてるから、あれ?と思って横を向いて母の顔を伺うと、一筋の涙を流しながら神様をずっと見てるんですけど、どないしたん?って言うたら、きれいやなあってって一言だけ言うてずっと涙を流してはったんですね、なんかこういった理屈じゃないことを僕達日本人は知ってるのになとかね。こういった理屈じゃない、なんかこう人を思うことであったり、人を思いやることを、思われること、愛すること、生きていくこと、死んでいくこと・・何かこう理屈じゃないことを、僕達は理屈で示そうとしてる、いわゆる心じゃなくて頭で生きてきてる、インターネット様々なテクノロジーが進むことによって、僕達の心のテクノロジーっていうものがいなくなってきてるなっていう、いわゆる想像することだったり、言葉はなくていいって感覚だったり、なんか、答えをみんな、不安なのか、臆病なのか、求めすぎてるなって気がするんですよ。なんかその母の一筋の涙を見て、そういった理屈じゃない物を曲にしたいなと思って、その日に宮司さんにお願いして、ここで歌かいていいですかって、全然いいですよって言って下さって、その神社さんに能の舞台があるんですけど、そこでパソコンひらいて、神社でパソコンで楽曲をかくっていう、ローテクノロジーとハイテクノロジーの感じがすごく面白くて、楽しくて。で、かいた曲が降ってきた曲っていうか、縁を結いて」という言葉がなんかこう浮かびながら綴られたのが、この歌詞だったんですよね」

>まず歌詞だったんですか?

剛「はい」

>「縁を結いて」って言葉自体は結構はじめに浮かんできたんですか?

剛「はじめっていうか、一瞬浮かんだ感じで消えて、最終的にこれに決まったっていうような、そんなスピード感でしたね。タイトルを書く前にこれを書けっていう雰囲気あったので、消えないうちに書くっていうか、なんかそんな気がしてですね、こういった曲を書きましたね」

>なにか言葉、自分がはき出している言葉なのに、自分の言葉じゃないみたいな、いわゆる先ほどの剛さんの言葉を借りて言うと理屈じゃないような出来事っていうのはこの曲にあった・・

剛「そうですね、この曲をかいてる時はまさにそうでしたね、大サビの水ひとしずくがっていうところから、身体に舞い戻るボレロの詩はラブ、っていう歌詞があるんですけど、ここを書いてる時が一番ちょっと怖かったんですよ、なんか背中がびっくりするくらい熱くなったんですね、とにかく怖かったんです、ここを書いてる時に。だからなんか自分が何を書いてるのかなとか色々感じてたんですけど、ふと見たら、水海天地球体って漢字が縦にどんって並んでて、ああ、と思って。なんかこういわゆるここの大サビで書いてあるものは重要なことですけど、当たり前なことを書いたので、水のひとしずくってものが、雨となって降ってきて、僕達の身体に入って、僕らが排泄をして、また、大地が実っていったり色々なことをしながら、循環をしていますよね、っていう。それを僕達は愛と呼ぶべきなんだっていう。ここで愛という言葉を入れてもよかったんですけど、なんかラブっていう、英語っていうのも僕の中では英語やから日本人らしくないって発想もなくてですね、そんなこと言い出したら今ある言葉は日本人の言葉じゃない言葉がいっぱいありますから、だから今の日本人に対してさまざまを伝えるために適切なことのはっていうのがあると思うんですよ。だからここはあえて、ラブ、っていう、まあその、英語とされるものを使ってみますけども。僕は最近大和言葉とか色々勉強してるので、そういうものも今後歌詞にいれていこうと思うんですが、そうですね、歌をかいてる時っていうのは、不思議な気持ちでずっと書いたなって今でも覚えてますね」

>その、剛さんの故郷である奈良で、言の葉がどんどん出てきて、実際そちらでレコーディングをされて

剛「そうです、その神社さんの宮司さんが祝詞をあげられる場所があるんですけど、ちょうど前に井戸があって、その奥に神さんがいはるんですけど、井戸の下は龍道となってるんですって。で、その龍の背中に乗ってることになるっておっしゃってましたけど。そう、それでそこでレコーディングなんてしちゃだめですよねなんて言ったら、全然堂本さんやったらいいですよって言って下さったんで、それでお伺いして歌だけとらさせてもらったんですよ、やっぱり昔の人々のなんていうんですかね、建築物っていうのは、思想も入ってて、声がやっぱりね、すごく響くようになってたりとか、夜に歌いましたんで、歌うと山を一周して戻ってくるんですよ、自分の声が。それで虫とか鳥とか全てが鳴きやんでくれて、レコーディングを無事にさせてもらったんですよ。だからすごい・・なんでしょう、自然の中でうたったような、半屋外みたいな神社さんなんで、外の音がヘタしたらすごく入るんですけど、みんなで賭けでいきましょうってことで、賭けで行ったら気持ちをくんでくれたのか、みんなだまってくれたんで、無事に録音することが出来たんですよね」

>その歌が、今年の4月というタイミングで世に出たわけですよね。このことに関しては、どう考えてらっしゃいます?

剛「まあ僕自身が4月10日生まれだったんで、自分自身が生まれたことに感謝をする、自分がなんで生まれて来たんやろってことを考えたら、奈良があって日本という国があって、もっと遡っていくと、この日本を作ったさまざまな、過去の昔の人達、ご先祖さんとか色々な人達含めて、つないできてくれたわけですから、それがなかったら、僕は今こういったお話することも出来ないし、うた歌う、音楽と出会うこともなかったなと、色々なことを考えてたので、じゃあ4月の10日に近いリリース日は4月6日になるなって話になり、じゃあ、4月に6日にいきましょうよ、4と6足して10になるから、4月10日いいんじゃないですか、なんていうような感覚で、リリースを決め、10日には東京都知事選もありましたので、日本のことを歌ったうただったんで、その時に出そうっていう決意でみんなでリリースしたという、自然な流れで出ていったというような印象なんですけどね、僕の中では」

>それが結果的にはと言いますか3月の11日の震災があって、その1ヶ月後くらいになるわけですけど。それが、世に放たれていって・・っていうことに関しては・・

剛「えっと、二つの感情が実はあって、もちろん4月の6日に出す時に、CDもプレスの工場だなんだ色々問題がありまして、CD音源を世の中に出すのに、1ヶ月前に決めては間に合わなかったりするので、ずいぶん前に4月の6日をめがけて納品をするんですね。でもその工場のことでもしかしたら、ずれるかもしれないなんて言いながら、でもずれずに僕のCDは出ることを選んだんですよね、で、こういった日本の大きな・・酷な出来事、この時間軸っていうものに対してこの歌は出て行くべきなんだろうなとすごく思いました。だからすぐにでも被災地の方に行ってこの歌を歌いたいとずっと思ってましたけど、そういう力が働きかけることはなかったです。あともう一つは、なにかこう・・こういう時にこういった楽曲が、色んな影響をたぶん持つと思うので、届く人にだけ、届く歌として、この歌は出て行くべきなんじゃないかとか。そういうふたつあったんですよね、なんか。日本国民に届けって気持ちと、この『縁を結いて』に対して、縁がある人にだけ届けばいいっていうような感覚もなんかちょっとありました。日本を生きていくっていう生き方は人それぞれなんで、僕はこう思うっていう僕の一個人の意見なんでね。だから震災がある時っていうのは、日本っていうキーワードにものすごくみんな敏感になっていたので、なんかすごい色々考えちゃったのが正直なところですかね。自分でも、この曲をかいたことが前の話なので、色んな不思議な気持ちになったのが正直なところですね」




次へ
HOME