>Requiem
その115・・・『21年目』・・・・
今年もまた、阪神・淡路大震災の日が巡ってきました。
被害に遭われた方のご冥福をお祈りします。
今や、多くの人が地震といえば東日本大震災だし
被災地といえば、福島や、東北を思い浮かべることと思います。
でも未だに私は、震災というと、阪神・淡路大震災がまず思い出されます。
きっと阪神・淡路大震災を経験された方は、みんなそうだと思いますが・・
昨年末の、ルミナリエでも、犠牲になった方の鎮魂は祈っても
「復興」の文字はなくなったというのに。
確かに神戸の街はすっかり元通りだったり、それ以上だったり
あの頃を思い出すモノは全然なくなってしまったし
20年を超えて、各地の追悼行事も減少、縮小傾向にあるようです。
でも、語り継ぐ人が減っていくので、いつしか忘れてしまうのではなくて
体験していない世代が、語り継いでいこうとしているという
新聞記事もありました。
語り継ぐためには、その体験を語ってもらわなくちゃいけないですが
実際に体験した私ですら、その時のこと、その後の不自由な生活のこと
忘れて生活してるんですよね。
自分でこのレクイエムを読んで思い出すくらいです。
忘れていく程度の記憶くらいなら、いいですが
戦争の体験のように、思い出したくないから語れないという方も
多いんじゃないかと思います。
震災当時、4歳と2歳だった息子達も
今では、奈良と千葉、別々の場所で暮らしています。
それぞれに最低限の備えをして欲しいことと
連絡手段も考えておかなければ。
日本のどこにいても様々な災害の可能性があるわけだし
天気予報と違って、地震はまだ予測出来ないですしね。
この日に考えてほしいのは、「命の尊さ」だけではなくて
その命をどうやって守るか、そしてどうやって生きていくか。
ある意味サバイバルなことなんですよね。
水や電気やガスがないところで、どうやって生活するか
例えば私なら、メガネがないと日常生活もままならないとか
持病があるなら、薬がなくなったら困るとか・・
普段は無意識にしている、小さな事の積み重ねを
意識して、そして考えてみてください。
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