113『19年目』

今年もこの日がやってきました。
震災で命を落とされたすべての方のご冥福をお祈りします
そして今生きている方が、不安なくよりよく生活できますように


もう来年は阪神淡路大震災から20年になるのかと思うと時の早さを感じずにはいられません。

NHKの「ごちそうさん」に関東大震災が起きた頃の話がありました。主人公は大阪に嫁いでいて、実家のある東京を心配する・・というシーン 1923年(大正12年)に起こった震災

当時の通信手段は、せいぜい電報、テレビやラジオもない時代です。被災地がどうなっているのか、そもそも何があったのか知ることすらままならない時代だったのですよね。

阪神淡路大震災は、たった19年前とはいえ、震災後はテレビやラジオでニュースを知ることは出来ましたが電話も通じなくなり、安否の確認や連絡がとても大変だったように思います。

東日本大震災の時は、インターネットが飛躍的に発達していて、ツイッターなどで様々な情報が飛び交いましたね。とはいえ、それも使用できる通信機器が手元にあるという状況でないと意味はないのですが・・

通信機器といえば、昨年4月
初めて緊急地震速報アプリがスマートフォンから鳴り響きました。早朝のことだったので、緊急地震速報の音で目覚めてあたふたしているうちに、久しぶりにちょっと大きな地震がありました。

ぐっすり寝てる時に地震があるよりは、数秒でも目覚めてる方がとっさに身体を守る体勢になれるかな?っていう感じでしたね。


そして8月8日だったと思うのですが一人で家にいる日中、緊急地震速報が!!そのときスマホの画面には『奈良で震度7』

ちょうどリクが奈良にバイトに行ってたので、もうね・・・真っ青ですよ

火の元と、玄関を開けて、リビングのテーブルの下に潜ってましたよ。結局誤報で、大丈夫?とLINEしたリクからは、のんきな返事が返ってきてほっとしたのですが、あの数分間は生きた心地がしませんでした。

揺れるかもしれない、そして奈良はもっとひどい揺れかもしれない、・・・と、思うだけで、軽くパニックで過呼吸になってましたよorz ダメだなー、全然冷静に動けませんね。

新聞などでは、過去を振り返る記事とともに南海トラフ地震の30年以内の確立が70%程度だとも報じています。

いつ、なんどきと予想が出来ない大地震
こうしている時にも発生するかもしれない、と思っていたら怖くて生活出来ませんが、本当に改めて備えなくてはなと思うのです。

バラバラだった時、家族でどうやって安否確認をとるか
食料の備蓄はあるか
非常用持ち出し袋を用意しているか


今年の目標100の中に、リストアップしておきます




Requiem
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