111『18年目』
お弁当を作らなくなって、最近すっかり朝が遅くなっていた今日この頃ほんとに、たまたまなんですが、今朝は5時半に起きて黙祷出来ました。
黙祷をしようと思って早起きしたわけではないのに不思議だなあ、呼ばれたのかなあ、と思いながら
世間では「地震」「震災」というと、当たり前のように東日本大震災をさすようになっていますが、阪神淡路大震災を経験した地域では、やはり18年前を思い出さずにはいられません
1月17日が近づくと、新聞でもそういう特集が組まれるのですが震災当時、消防士として救助にあたっていた父親を見て自分も消防士を志したという子どもの話や、震災で出会って寄り添うように生きていたお年寄りの話や、どちらかというと心温まる話題が多かったのですが、それでも当時の状況に話が及ぶとどうしても涙が止まらなくなってしまいます
そして今年も各地で追悼と鎮魂の祈りがあったことは関西地方でしか、報道されていないんでしょうか。
昨年のことになりますが今年30歳になる東京のミュージシャンが「ルミナリエ」を知らなかったことは衝撃でした。
当時中学生になるかならないかの子どもだったとすれば阪神淡路大震災を知っていたとしても、その後に開催されている「ルミナリエ」のことまでは知らなくて当然なのかもですね。
反対にこちらでは東日本大震災で被災された地域の復興状況にしても日々取り上げられるわけでもなく、意識して情報を得ようとしなければわからないんですよね
原発や、放射能や、そんな言葉は大きく聞こえてきますが。
神戸の街並みは、どこにも震災を思い出すところはなく復興が終わったように見えます。
震災の時に物心ついていなかったマシンが成人式を迎えました
だけど震災で家を失った人がいること、家族を失った人がいること、怖い思いをしたり悲しい思いをしたことは、ずっと心に残っています。
忘れたくても忘れられないことを伝えることが難しくても、伝えていこうと思います。出来れば、温かい気持ちと一緒に