105『東北地方太平洋沖地震 2』

東北地方太平洋沖地震から4日が経ちました。
まだ4日。もう4日。

被災地には各地から自衛隊や警察等が救助にあたり地震発生から救助した総数は約1万5900人に上ったそうです。

阪神淡路大震災の時も、すぐに自衛隊が駆けつけてくれていたらもっと助かった命もあっただろうにと思うと今さらながらやりきれません。確か現地に入ったのは数日後だったと思います。近くの公園に駐屯していた自衛隊の車を見ると、とても頼もしく思えました。


丸二日ほどは、ずっとテレビをつけていて惨状が明らかになるにつれ、どんどん気持ちも落ち込み何も出来ないのに、何不自由なく暮らしていることが罪悪感になり、楽しい気持ちになることすら悪いことなんじゃないだろうか

そんな思いに駆られている人も多いのではないでしょうか。いや、むしろそんな人ばっかりな気がします。


阪神淡路大震災の時、隣町に行けば普通に生活しているし、少し遠く離れたら地震のことも他人事なんだと思ってましたがそうではなかったのだと、今になってやっとわかったのです。

沢山の人が、何かしたいけど何も出来ないという気持ちでいてくれたのだと。でないと、あの後のJ−FRIENDSの活動があんなに続くわけないですよね。

今は連日テレビでもラジオでも、世界でも稀な規模で起きてしまった災害を良くも悪くも報道していますが、実際被災地では、今だけでなく、これからずっと長く不自由な暮らしを強いられるのです。それこそ、何年も。

報道されなくなったら、もう大丈夫なわけではなくてそこからが本当に復興の支援が必要なのだと思うのです。力強く息の長い応援を、またJ−FRIENDSが(あるいはそれに代わるものが)先頭に立って、やってくれたらなと本当に思います。


そして、どうしても阪神淡路大震災の時と比べてしまいますがあの時はインターネットも、携帯電話も一般的ではなかったんですよね。だから、遠くの人に自分の無事を知らせたり、知ったりする手段が電話しかなかったんですよね。情報を得る手段もテレビくらいしかない状態でした。今となっては考えられないことです。
(いいことばかりとは言えませんが)


Requiem
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