>その、水のね、一つやっぱり剛さんの中で、水っていうものがテーマであるとは思うんですけど、その水が私たちの必要なものでもあり、こうした災害も起こしてしまう・・

剛「そうですね、脅威に変わるものでもありますよね」

>やっぱり自然と人との関係であったり、どういう風に付き合っていったらいいのか、対峙していったらいいのかっていうことっていうのは、やっぱり大きく考えられたことでもありますか?

剛「そうですね、僕自身は難しくいうとね、こういうのって宗教っぽく聞こえちゃうし、なんか哲学っぽく聞こえちゃうけど、でも水のね、星地球ってとこに住んでますから、僕らの身体の中には、水がいっぱいあるわけでしょ。いわゆる悲しいなと思っても涙を流すわけですし、何か一生懸命になろうと思うと汗もかきますから、僕らにとっては水っていうキーワードは、当たり前のものであるなというところで、自分自身が歌をうたいときは水をイメージしてるので、これはもうなんでって言われてたらわかんないです、勝手にそうなってっちゃったんですよ、どんな曲歌ってても、なんかこう水をイメージするんです。で、その水っていうのは僕自身、よく自分を喩えるときに言うんですけど、自分自身が淡水のね、いわゆる湖のりんとはった水面があるじゃないですか、僕自身はああいう様だっていう、で、そこに対して大きな石が投げ込まれれば、形は変わらなきゃいけないですよね、小さい石でも形はそれなりに変わりますよね。でも寒さが厳しいと凍りますよね、でもまた暖かさが戻ってくると液体になりますよね。個体にもなるし液体にもなるし、蒸発もするんですよね、蒸発したと思って水かさが減ったとしても雨が降るからまた水かさが戻ったり、あるいはそれ以上にあふれたりする、だからものすごく簡単に言うと、自分自身っていうものはりんとはった水であるけども周りの環境によって影響されていくのが人間だっていう、簡単な話、当たり前の話なんですけど、そんなん誰でもやんけって話なんですけど、でも僕はそういうイメージで生きてて歌をうたう時もそういうイメージなんですよ。だから、そのいわゆるうねってる水の時もあれば、氷のようなとげとげしい水もあればいっさいぶれていない水もあれば、っていうようなイメージで歌います、それが、水の上とか、水の中とか、なんか、色々色んなイメージで歌うんですよね。だからこういう・・うーん、災害、水害っていうものが起きたときに、うーん・・まあ宮司さんもやっぱり言ってました、天河さんの宮司さんも、震災のあとに僕が訪れた時に、今年の日本のテーマは水ですっておっしゃってましたね。で、なので被災地の方に、お水を天河のお水を私は送ろうと思ってますなんて話もされてましたけども、まさかその・・東北もやっぱり津波というものがあった、水というものがやっぱりあって、でも台風ですごい雨が降って、それで自分のふるさと、そして和歌山、自分が訪れた場所が水害に遭って、その前に新潟も福島も、えー、水害に遭ってたりしますし、で、そのあとには名古屋も水害に遭ってたり、とにかくどこにいても水の話をしなければいけないっていう状況がおきてたんで・・ん〜、えーっと・・・ものすごくうるさく敏感に考えれば、ほんとに何か、わからないけども見えない力みたいなものもちょっとこう借りながら?ちょっとこう、それこそ手を合わせるとか、空に向かってに祈るとかっていう、昔の人がやったようなアクションも含めて、何かもう僕らはやっていかないといけないのかなとさえ思いましたね。これはもう理屈をこえたことが起きましたよね、想定外ってみんな簡単に言葉つかってくれちゃうけど、想定外だと困るんだってことはいっぱいあります。プロなんだから想定内で、とどめてほしい。でも自然っていうのはやっぱり想定出来ないですから、だからそこをあきらめるのではなくて、そこと向き合うっていうことがやっぱり大事なんでしょうから、これからもほんとに川の近く海の近く山の近く住んでらっしゃる方、たくさんいらっしゃると思いますけど、やっぱり常に自分のそばには自然がいてくれてる自然があるんだっていうことを、なんかこう意識して生きるのは、これは日本人のこれからマストじゃないですかね、そうじゃないとダメだと思います。昔の日本人ってそうやってね、生きてたでしょうし、でもかといって、都心部っていうか中心部でも大地が震えたりすれば大きな火災も呼びますし色んなことがありますよね。大阪で言えば阪神大震災ありましたし、僕なかその時東京にいたので経験しませんでしたけども、兄弟なんかは奈良にいましたから、ほんとに下から突き上げるような揺れがきて、そのあと食器も全部倒れた、奈良でさえそうでしたから、その時も僕は何が出来るんだろうなんて思いながら、色々自分自身で出来ること、組織的に出来ること、色々させてもらいましたけど、やっぱりあの時に得た感情というものは、被災された方には、ずっと残ってますからね。それを、なんていうのかな・・・知っててあげたいし、知っててあげるべきなんですよね、僕ら日本人ならば、だからそれを持った上で、僕は過去に曲を作ったりもしました、その阪神のことをうけて、ずいぶんと経ってから、その残された人の気持ちっていうか、どういう気持ちなんだろう、こういう気持ちなんじゃないかな、自分なりに理解しようとして、なんか曲を作ったりしたこともありますけども。なんかやっぱりこう、みんなが忘れていくっていうのは、ものすごくやっぱり寂しいし悲しいから、それは忘れないでほしいというふうに訴えることはものすごく大事だと僕は思います。だからそれを僕が代弁出来る時は代弁するでしょうし、僕が言わない方がいい時は僕はそっとしてるけども、やっぱり日本で起きた様々な災害にたいして出来た傷っていうのは、治療は出来るけど完全に完治することはやっぱりないと思います、でもそれでいいと思うんですよ。日本列島を自分の身体と思って、考えた時に大きな傷っていうのは、ある程度放置しなきゃいけない時もあるじゃないですか。病院に行って、すぐ治るわけでもない、手術すれば治るわけでもないっていうものもある。だからある一定の自然治癒能力というものに身をまかせなきゃいけない時もあるでしょうし、自分自身が手を加えること、あるいは他者が手を加えてくれることによって、治ってはいきます。で、傷が完全にふさがったとしても、痛みは消えないですから、その痛みっていうものは、その人よりも感じてあげれるような自分で、やっぱいなきゃいけないなと思う。大阪も今では活気も戻って大好きな街ですけどね、僕も。でもそこに残ってる色々な思いっていうものはやっぱりありますから、そういうのを僕は感じながらいつも大阪で仕事をしますよ。だから奈良も、これからは奈良でお仕事する時は、十津川のことだったり、天河のことだったりっていうものが、色々身体かけめぐりながらステージには立ちますからね。だからこれからそうですね、どういった災害が日本に訪れるかっていうのはわからないけれども、やっぱり備えっていうものはあった方がいいと思います。それは心って部分でも備え持っていれば、すごく強いような気がしますので、大阪の人たちも、その今の東北、僕、この間被災地行ってきましたけど、いっぱい行かれた方もいると思うんですよね。それで痛みを自分なりに解釈してもどってきはった人もたくさんいると思います。だから、みんなでね、日本のその大きな傷を治療する、方法って言うか、意志というか、そういうものを考えて行けたら、すごくいいなあなんて思ったりしますね」

>それではですね、ここで1曲お届けしたいと思います。では曲紹介お願いします。

剛「はい、それでは堂本剛で『Nijiの詩』聞いてください、どうぞ」

『Nijiの詩』

>小島麻子と

剛「はい、堂本剛がお送りしてきました」

>関西地域コミュニティFM限定のスペシャルプログラム、「縁を結いて」そろそろお別れの時間が近づいてまいりました。さて、実は10月またライブがあるというふうに伺っています。これがまた奈良に戻って・・

剛「はい、そうですね。僕自身が場所をね、決めれるアレじゃないので、まあこれも自然とというのはアレなんですけど、奈良で3日間100年会館というホールがあるんですが、そこでライブをやったらどうですかっていうふうに言って下さったんで、自分のふるさとも先ほど言いましたように、和歌山含めて、十津川村という村だったり、天河村だったり様々な南部の方が台風の影響を受けてたりしますので、実際知り合いも多くてですね、なので何かこうふるさとの方で今年1年を何かこうふり返る水というキーワードを十人十色と東北も回らせていただいたライブのしめという感覚もあるんですが、十人十色の追加公演で、水というキーワードにちょっとピントを絞った、ライブを奈良で3日間やらさせてもらおうかなというふうに今思ってます」

小島さんから、ライブ告知と堂本剛情報配信サービスのお知らせもしていただきました。

>ということで、堂本剛さんと私こじまあさこがお届けしてまいりましたスペシャルプログラムですがそろそろお別れの時間です。今日はどうもありがとうございました。

剛「ありがとうございました」





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